私が 33才の春に父が亡くなりました。
父は生まれつき難聴で、補聴器をつけなければ全く音は聞こえていませんでした。
補聴器をつけていても会話のすれ違いや、コミニュケーションが上手くとれずに誤解を生む事もあったようです。
私たちが普段なにげなく過ごす日常の当たり前の中にも、父にとっては少なからず不安やストレスがあった事と思います。
私と姉は父が難聴の為 困るとか恥ずかしいとか、そういったコンプレックを持つことなく過ごしてこれました。
それは 両親が子供達によけいな心配はさせない様、いろいろとと配慮してきてくれたからだと、今でも大変感謝しています。
父は難聴でも普通の生活をしていました。
私が小学生の頃は空手の先生もしていて私も中学校に入学するまでは習っていました。
月に何度かは気の合う友人たちと お酒を飲みにいったりカラオケも楽しんでいました。
そんなある日 父は突然の高熱に襲われました。
病院での検査の結果は 白血病 と診断されすぐに入院をし 無菌室にて治療が始まりました。
病院でいろいろと手を尽くしてくださいましたが3ヶ月の闘病の末、旅立っていきました。
母と二人で休むことなく営んできた 酒屋の商売を3ヶ月間休業し、母が父の看病につきっきりになれた事は両親にとってせめてもの慰めでした。
父の希望で郡上八幡の病院で最後を迎え、孫とも握手をして亡くなる数日前まで笑顔でいてくれました。
闘病中は高熱が続き辛かったと思いますが、弱音を一言も言わず父は旅立ちました。
なぜ、優しい父が。 と思った事もありました。
努力が報われるほど単純な世界ではないし、悪人が人生を早く終えるとも限りません。
世の中の不条理を考えたりもしました。
しかし、私は父の事を可哀想だとは思いませんでした。
父は難聴というハンディキャップもありましたが、それなりに楽しみもあったし好きな家族や友人、親戚に囲まれて幸せな人生だったと思います。
健康で長生きは素晴らしいことだと思いますが、その人なりに精一杯生き、たとえ短命だったとしても 可哀想とは全く思いません。
太く短く生きる という表現もありますが、別に太くなくてもその人なりに生き抜いたなら全く可哀想な人ではありません。
父が無理な生き方をしたから病気になってしまったなどとは思いませんし、そんな単純に結びつけられる事ではないと思っています。
しかし、生き方について考える様になりました。
辛く苦しい試練から逃げず問題と向き合う。乗り越えたその先に次のステージが用意され、成長していくのだと。
全くそのとおりだと共感しますし、私も少しはその様に生きてきたつもりです。
しかし一方で 頑張りすぎの無理な生き方 が続き、病気になってしまう事もあると思います。
当時、父の担当医は 発病について 地域柄や遺伝、男女差 等あらゆる原因の因果関係はなく不明です。と言われましたが、 ある医師の著書の中に 白血球の自律神経支配 とあり交感神経刺激を介して顆粒球の増多が起こると記されていました。
体内に入ってきた細菌の処理、という大切な役割を果たす顆粒球も過剰になると常在菌と反応して、組織破壊の炎症を引き起こしそれがあらゆる病気の引き金になっている。と述べられています。
慢性的な心理ストレスが交感神経を緊張させると免疫機能の中心である 白血球 の減少が認められる。との事でした。
頑張る事は時として必要であり、何かに真剣に打ち込む人の姿は美しく感動します。
ところが、頑張りすぎると病気になる場合があるのです。
ある日突然体調を崩したりします。
人は皆頑張って生きていますから 頑張りすぎないように無理をしない生き方も時には受け入れてみてもいいのではないでしょうか。
ただ、頑張る事が合っている人もいるので、そういう人は穏やかな生活を意識する事がストレスになります。( 風呂も熱めが好きな人とぬるめのお湯が好きな人がいます )
何が正しいとはいえませんが自分にとって心地よい生き方を選択していきたいものだと思っています。